フラメンコのメッカであるヘレス・デ・ラ・フロンテーラの

ヘレス・オフ・フェスティバル初日

松本真理子のリサイタルコンサートをしましたので

その写真と現地メディアから受けた取材記事をご紹介でします。

 

ESPECTACLO DE BAILE
MARI MATSUMOTO

2019年2月22日(金) 19:00開演

スペイン ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ

ラ・グアリダ・デル・アンヘル

出演者

バイレ: 松本真理子、アレハンドロ・モリネロ(ゲスト)

カンテ:カルメン・ラ・ティコ

ギター: ホセ・マヌエル・ゴメス

主催  ラ・グアリダ・デル・アンヘル  公式サイト>>

 

 

松本真理子とアレハンドロのアレグリアス ダイジェスト動画

 

松本真理子のタラントス ダイジェスト動画

 

 

 

 

■ La voz del Surの取材記事 ■

 

 

“フラメンコなしの生活は考えられない“

日本人舞踊家兼講師でもある松本真理は、

フェスティバル・デ・ヘレスの 初日2月22日に、

ラ・グアルディア・デル・アンヘルにて マドリッド人のアレハンドロ・モリネロと

リサイタルを開催する。

 

 

 

「私の名前は真理子、でもこの名前は使いたくないの。

だって、マリコン(オカマ)って呼ばれるから。

こっち(スペイン)の人は、悪ふざけが好きだからね。」

こう話すのは、踊り手の松本真理で、ほぼ完ぺきなスペイン語を微笑みながら話す。

「私は半分ヘレサーナで、半分日本人よ」と、まるでマントラのように唱える。

1980年代後半、彼女はパソコンの前に長時間座ることで首や肩、

背中に生じる痛みに嫌気がさし、大阪のフラメンコ教室に飛び込んだ。

そこは、フラメンコの発祥地と同じアルテ(芸術)のあるアカデミア(学校)が

たくさんあるところだ。 彼女はその後の90年代、彼女の夫の転勤でドイツに引っ越し、

ドイツでもフラメンコを学び続けたかった話もしてくれた。

「ドイツはスペインにすごく近いの。」

まるでバスだと何キロしか離れていない近くにあるかのように彼女は話す。

(スペイン人からするとドイツとスペインは遠いのに)

松本は、ドイツからスペインの首都に飛び、フラメンコの火花とソニケーテを学んだ。

「日本にはドゥエンデがないの。何故かわからないけど。」

そして、こうつぶやいた。

「たぶん、ここスペインは、、、、地に魂が宿っていると思うの。

だってスペインは土葬(遺体をそのまま埋葬)するでしょう?

日本は火葬するもの。」

そう粋に主張した。

彼女は、マドリッドのアモール・デ・ディオスにある フラメンコアカデミアで学んだ。

「私が滞在したのは1か月まで、だってドイツに旦那がいるから

戻らないといけなかったの。」

90年代の後半に日本に戻り、その後大阪で自身のアカデミア(学校)を 開校した。

趣味で始めたことが、仕事になったのだ。

「グラフィックデザイナーで働くことも出来たの。給与もよかったのよ。」

指先をそっと触れながら 「でも、フラメンコは私にたくさんのエネルギーをくれるのよ。

だから今はフラメンコなしの生活は考えられないわ。」

彼女が師事したマエストロは、川本典子、レナーテ・バーグナー、

メルチェ・エスメラルダ、ロサリオ・トレド、フェルナンド・ガラン、 ラ・チキ・デ・ヘレス、

イサベル・バジョン、コンチャ・ハレーニョ、

コンチャが紹介してくれた踊り手で振付家のアレハンドロ・モリネロ(マドリッド、1988年生まれ)、

彼と2月22日の19時から、ラ・グアルディア・デル・アンヘルで

日本人によるフラメンコリサイタルを開催する。

23回目のフェスティバル・デ・ヘレスと重なるイベントである。

松本にとって2回目になるヘレスでの踊りは、アレグリアス、タラントだ。

 

 



彼女にとって、20年前にヘレスという土地を知り、

その時から行かなければ行けない運命の場所になった。

日本からスペインへは、年に2回は飛び、その内の1回は、いつも2月だ。

「マドリッドはテクニカがたくさん学べるけど、私は愛嬌がある踊りとか

アイレのある踊りが好きなの」

そこでセビージャへ行き、ラウラ・アギラールの導きでその後

運の良いことにアギラール・デ・ヘレスの名で知られる

ヘレサーノの歌い手アルバロ・アギラール(ラウラの父)の家に招待された。

「そこはね、まるで自分の家みたいだったの。

でも不思議、私、スペイン人の血は一切持っていないのよ。」

そうお茶目に言う。

「ヘレスって素晴らしくて、それでまた戻りたいって思ったわ。」

松本がヘレスで最初に踊ったのは2009年で、

ペーニャ・ラ・ブレリアでフェルナンド・ガランとの共演が初めてだった。

 

その10年後、ヘレサーノのダビ・ラゴスの紹介で

ラ・グアルディア・デル・アンヘルのヘレス・フェスティバル・オフの

イベントに参加することになり、アレハンドロ・モリネロと共演することになった。

 

この若手舞踊家はスペイン舞踊のスペシャリストで

3歳の時にアカデミアに入学させられた。

「何故なら、僕がうるさすぎて母がテレビをゆっくり見ることが 出来なかったからさ。」

笑いながら、こう語る。

「そこは、僕の感性とぴったりの場所だったんだ」

このマドリッド人は、9人から構成される踊り手、ミュージシャン、

スタッフによる自身の“モリネロ舞踊団”を持つ。

彼にとって、ヘレスの国際的なフェスティバルでの出演は4回目で、

自身の舞踊団以外で踊るのは初めてになる。

「2月22日の夜は、お互いが溶け合い、曲種というルールや

テクニカから離れて、何かを演じるのではなく、フラメンコを感じ 自分を表現したい」

 

2019年2月21日 スペイン報道機関 La voz del sur にて掲載>>

 

 


 

現地の様子を事務スタッフ高橋がレポートしています。

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